土岐明智氏と常盤姫伝説
約700年前土岐頼兼の後室に明智の豪族の娘、「常盤姫」が嫁いでいましたが、臣下の嘲笑を受けたので、土岐川淵に身を投げられました。 姫は守仏として観音像を抱いており、観音像は臣下によって姫の出生地、明智地内の的場に祀られ、光山寺として供養されてきたという伝説が残っています。 その後この地で明智光秀公が誕生したと伝えられています。観音像は、現在も地域住民によって守られています。
室町幕府と明知遠山氏の関係をひもとく
南北朝時代に明知遠山氏は、足利尊氏の傘下に入り活躍したため、その功績として、足利家の丸に二つ引両の家紋を(以前は六本格子の家紋を使用)授かったとされています。 それ以後、明知遠山氏は、その家紋を使用しています。室町幕府との密接な関係があったことが伺えます。
明智と明知はいかにしてできたか
足利幕府からの安堵状には、遠山庄明智村や明智遠山景保といった「明智」の字が見られますが江戸時代になると「明知」とされていて、明知遠山氏と名乗っていました。 これは本能寺の変を境に追求を恐れ、明知としたのではないかと伝えられています。昭和の合併時に、今の明智町に戻されています。
多羅砦の謎
- 明智町には田良子(たらご)という地名がありますが、江戸時代の美濃國繪圖には、多羅子と記されています。 また、それ以前は、多羅郷と呼ばれていたとされています。明智光秀公は、美濃国多羅砦で生まれたという伝承も残っています。
光秀まつり
- 毎年5月3日に開催される「光秀まつり」は、昭和47年から開催されています。 明智光秀公生誕の地として、名将光秀公を偲び、勇壮な武者行列が繰り出されます。 地元、明智小6年生の少年少女が扮する武者・姫君や前厄の青年が山車を引き、明智光秀公の偉功を今に伝えます。
書籍の発売について
- 明智光秀公出生の謎に迫る。明智町で初の書籍が発売中!
- タイトル
『明智光秀』東美濃物語 ~光秀45の謎~
- 籠橋一貴 著
- 恵那市観光協会明智支部 発行
- 1,836円(税込)
他にもある伝承とゆかりの地
- 安住寺須弥壇の桔梗紋
- 御弥勒堂の社寺幕と浄水鉢の桔梗紋
- 於牧の方の縁戚と朝倉家との関係 など